「林業の2.5次産業化」(6次産業化) 弊社の歩みと挑戦 (3-1)
2013/01/27
「第1次産業(農林水産業)の6次産業化」が話題になるケースが増えていますが、「林業の2.5次産業化」(6次産業化)について、弊社なりに考えてみました。
林業の2.5次産業化 新春の弊社(H25.1.1
世間では、「6次産業化」(*下記参照)と言われていますが、弊社の50数年間の歩みについて振り返ると、「2.5次産業化」への歩みと挑戦と表現するのが的を得ているように思います。
創業者の父が、「素材業」を始めたのが昭和35年(1960年)としており、この時より「事業」として林業(1次産業)に着手し、その後50年余りが経過しております。
(それ以前は、生家の育林作業を手伝っていたようです)
林業の2.5次産業化 素材生産・木馬出しの様子 (川上村林業資料館の展示から)
「間伐材マイスター」が小学生だった頃は、創業地(「棚田百選」の岩座神)の自家林や地元林家から立木を購入し、木馬(きんま)や架線で搬出作業をしたり、植林や下刈り等の育林作業を請け負っていたのを覚えています。
素材生産した木材の販売は、「原木市場」と言われる市場へ出材し、「競り値」(取引価格)で一喜一憂していたようです。
林業の2.5次産業化 素材生産・架線集材の様子 (川上村林業資料館・展示から)
素材生産事業を行っていた頃の最盛期には、親方を兼て2班体制で仕事をしていたようですが、その後の高度経済成長の後半期には職人の不足等もあり、素材生産業は縮小していたようです。
木材価格が最も高かった時期(昭和55年が最高値)には、既に、杭丸太や足場丸太等の小径木の加工業にシフトし、兵庫県内や大阪の木材商(問屋さん)に直送する体制となっていました。
(1次産業から2次産業「工業」に徐々に業態変更していたと推測されます)。
創業地の「間伐材マイスター」の生家(H25.1.1) (玄関先で杭加工を行っていた時期も)
原木市場や製品市場へ出荷するのではなく、注文を受けてから「製品加工(サイズ加工)」を行い出荷するので、原木出荷に比べると加工賃が山元(弊社)に残る形になったように思いますが、「注文を受ける」という受け身の形になっていました。
* 『第1次産業の6次産業化』
「6次産業化」とは、1次産業(農林漁業)×2次産業(工業)×3次産業(商業)=6次産業という考え方で、これに「官」「学」との連携を含めて、地域資源を有効活用して産業活性化を図ろうとする施策のこと。
「農業の6次産業化」が注目される一方、「林業の6次産業化」については話題になることは少ないようです。
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