間伐材マイスターの徒然記

原木を「売る」立場から、「買う」立場へ

日本経済新聞をお読みの方はご存じだと思いますが、今月(平成24年3月)の「私の履歴書」は大和ハウス工業の樋口武男会長で、興味深く読んでいます。 

日本経済新聞 「私の履歴書」 大和ハウス工業会長 樋口武男氏の掲載ページ

日本経済新聞 「私の履歴書」 大和ハウス工業会長 樋口武男氏の掲載ページ

鉄鋼商社から、大和ハウス工業に転じ、鋼材を売る側から買う側に転じて、その強みを発揮したことや、その後、各地の不振店を立て直したこと等、多くを学ぶことができました。後半は経営者の立場からの「履歴書」になるようですが、展開を楽しみにしています。 

日本経済新聞 「私の履歴書」 大和ハウス工業 樋口武男氏の「転職時」の掲載

日本経済新聞 「私の履歴書」 大和ハウス工業 樋口武男氏の「転職時」の掲載

さて、「売る立場から、買う立場へ」への転向は、原木取引ベースですが、弊社にもかつてありました。 

父が素材生産業を行っていた時代は、搬出した原木を兵庫県内外の原木市場に出材していました。原木の材種やサイズ等に応じて、出材する市場を選んで少しでも高く売れるよう工夫していたことを何度も聞きました。

 一方、土木用木材の加工業に転じてからは、兵庫県内の主要原木市場から小径木を中心に購入する立場に転じました。幸い、弊社の所在地が各市場からの引き取りに便利な位置にあることを強みに、購買のベストミックスに努めています。 

購買側に転じると、原木価格が安い方が良いように思いがちですが、こと木材の原木となると、安すぎると出材が抑制されてしまうので、安定供給が確保できる価格での購入に努めています。

この点は、かつて売る側にあったからこそ、素材生産業者側の立場も理解しつつ、共存共栄できるよう考えることができると思っています。

 

≪追記≫

さて、大和ハウス工業の創業者といえば、吉野の老舗木材店の出身ですが、その飛躍の原動力は「木材店」にはないものを発揮したところだと思っています。

「住宅の工業化」を実現し、組織・企画力で会社を育てたのだと思いますが、それ以上に創業者の先見力が大きかったのでは……と思っています。

 企画力を備えず、ジリ貧になることを許容している木材業界の人々に、より多くこの物語を読んで戴きたいと思っています。